|
カテゴリ
以前の記事
2023年 10月 2018年 09月 2018年 03月 2018年 02月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 05月 2014年 04月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 02月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 06月 2009年 04月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 03月 2008年 02月 2007年 12月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 07月 2007年 05月 2006年 12月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
![]() こどもの頃「星の王子様」を読んだかい? 小学生のときベッドの上でこの本寝転んで読み始めたら前書きに「この本をベッドの上で寝転んだりして読んでほしくはないのです。」なんていきなり書いてあって、急いで椅子に座り直したのを憶えている。 初版ってのがちょっとうれしい。文庫本よりちょっと大きいくらいのサイズだけれどハードカバーでケースも付いている。岩波文庫、200円。 実家にある夥しい数の書物、それらを収納している本棚のどこかでいまでも静かに明滅していることでしょう。 ここ一年、図書館や本屋を流していると「星の王子様」がいろいろな人の訳で出版されているのが目につく。 図書館だけでも「ちいさな王子」などと題名を変えて出版されているのも含め6冊もあった。調べてみると邦訳で20種類も出版されているぞ。 これは何故かというと本作品の日本での著作権の保護期間が2004年に消失してしまったからなのだ。 出版社がこぞって著作料フリーの不逐の名作を名うての作家あるいは翻訳家を起用して出版しようとするのは当然のことの様に思える。 でも出版時期が後手に回った出版社にとって、いくら著作料フリーだからといって既に何種類もの邦訳が出ているものを改めて出版することが会社の利益につながるとは考えにくい。 だから出版社に何かしら熱意のようなものを感じる。 そして出版社側がいくら本を出したくても翻訳者がいなければなにも始まらない。 今まで何十年と内藤濯の邦訳で親しまれてきた「星の王子様」にけんかをふっかける訳だから、翻訳者の意気込みは相当なものではないかと思うのである。 だから、この新訳ビッグ・バンはちょっとしたお祭りなのだと思うのだ。出版に携わるものならば避けて通ることのできないこの名作を、こんな邦訳でこんなデザインでと誰もが手がけてみたいのではないじゃろか。 で、原題「Le Petit Prince」の何種類かの訳本に目を通してみる。言葉使いや表現が多少違っているような、違っていないような、、、と、冒頭だけちょちょっとつまみ食いしている分には自分の好き嫌いが良くわからない。 でも内藤濯の訳がしっくりくるな。他の新訳本では「うわばみの腹で消化されて、、、」となっている箇所も濯氏の「うわばみの腹でこなされて、、、」という表現が妥当に思える。 (ただの思い込みか?) そもそも良い翻訳とは一体なんぞや? 海外文学でいえば、緩急があまりなく坦々としたリズムの語り口調で続いていく、奇をてらったり大げさなところが無く真水のような文体が自分は好きだ。 読後にストーリーが記憶からぽろぽろ抜け落ちていても、その本のスピリッツみたいなのが自分の血肉になったと感じる時、それは作品と翻訳のいずれもが優れていたのだとぼくは思う。 そういう作品では原作者との(架空の)対話を通して、文章として立ち現れる以前のぐずぐずとした感情が渦巻いている原作者の心の領域まで降りてゆき、それをすくいあげ外の世界の秩序に沿ぐう形に具現化させてみせる、こんな作業が行われているはずだ。 で、この作業ってのは楽譜を「音」に立ち上げる指揮者や風景を四角に切り取るカメラマン同様に表現者の行為だ。 そしてこういう作業を通して、直訳では「ちいさな王子」となる「Le Petit Prince」を内藤濯は「星の王子様」と表現してみたのでしょう。 ぼくらはもう刷り込みされていて「星の王子様」以外に考えられないけれど、けっこうパンクな翻訳なのかもしれない。 10年前にフランスに行った時「星の王子様」とサン・テグジュペリが印刷された200フラン札を見て、なんてカラフルで楽しいお札なのだろうと思った。でもぼくは愚かにもその芸術的価値よりも流通貨幣としての価値を選択し(4000円だもの!)手元に残しはしなかった。 お土産としてはまだ存在しているかもしれないけど(根拠なし)、流通貨幣としてのフランス・フランは現在もう無い。 あのとき取っておかなかったことを時々思い出しては後悔してる。
by amadylan
| 2007-05-23 21:23
| 雑記
| ||||||
ファン申請 |
||