|
カテゴリ
以前の記事
2023年 10月 2018年 09月 2018年 03月 2018年 02月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 05月 2014年 04月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 02月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 06月 2009年 04月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 03月 2008年 02月 2007年 12月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 07月 2007年 05月 2006年 12月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
![]() 医者に尋ねられたことにちゃんと答えられていたかあまり記憶がないのだけど、極度の脱水症状とのこと。 実は自分の症状がコレラの症状と酷似していたので心配していたのでまずは一安心。しかしながら体力がかなり消耗しているので入院ということになった。インドに入国して一週間目のことだった。 病室は小学校の教室3つ分くらいの大部屋なのだが、人の熱気がこもって尋常でない暑さだった(と感じた)。天井のおおきな扇風機が部屋の空気を撹拌しているがベッドの上には温風しか吹いてこない。 それでもどこが一番風が当たるのか、うつぶせとあお向けとどっちが暑くないのかを探る様に、点滴の注射がしてある方の腕を支点にして、大きなベッドの上をごろごろごろごろと動き回った。 入院当日は点滴のみで水は一滴も飲めなかった。体に水分は補給されているのだろうけど、喉はからからに乾いている。これはつらかった。だけどおかげでトイレに行く回数が激減した。適切な処置だったのだろう。夜はいくぶん気温が下がって楽だったが朝になると気温がぐんぐんあがり病室が温室状態になっていく。 トイレに行く時は看護婦さんに点滴をはずしてもらう、点滴をかける台に車輪がついていないから。 看護婦さんがなかなかこないので、ひとりで点滴の袋をもって小便をしにいったのだが、ついうっかり袋を下げてしまったら血が袋の方に逆流してしまった。 まあ問題ないだろうとそのままベッドの上で寝ていたら、見舞客のおじさんがそれを見て目の玉をひんむいてビックリの顔をして看護婦さんを呼んで来てくれた。実際たいした問題ではなかったので看護婦さんは特に慌てた様子もなく点滴の袋を替えてくれたのだけど、そのおじさんの温かい気持ちがうれしかった。 ところで病院といえどトイレは紙がなく水道の蛇口と水瓶が設置してあるインド式のものだ。日本人の感覚からするとちょっと大丈夫かななんて思ってしまうけど、インド式の方が一概に不潔とも言えないのではないだろうか、と今では思う。 ぼくの足の方向のベッドの患者は布で左右をしきられ始めたのでどうしたことかと見ていたら医者と医学生がぞろぞろ集まってきて患者を取り囲み、なにやら話しはじめたなと思っていたら、患者の足がびくびくっと痙攣して来たので麻酔手術をするのだとわかった。 ベッド数が足りないのか、お金の問題なのか分からないがちょっと驚いた。 となりのベッドには意識不明の少年が寝ていた。丸刈りにされた頭に何本もの電極が差し込まれていた。何度目かに目をさました時、少年のかたわらに両親がすわり話し込んでいた。 お父さんとぼくの目があったときにお父さんはぼくにリンゴを差し出してくれたのだけれど、また下痢が再発するという恐怖に襲われ、いらないと断ってしまった。 お父さんは少し憮然とした表情を浮かべたけどすぐにまたお母さんと話しはじめた。 その日の午後に医者からバナナならたべても良いといわれた。医者の横にはもうひとり謎のおじさんがいて、どうやらこの人にお金を渡して薬や食べ物を買って来てもらうシステムになっているらしい。 いわゆる病院関係者なのだろうか?でもちゃんと買い物はしてくれた。そして2日ぶりにバナナの水分で喉の乾きを潤すことが出来たのである。 その後、僕の脇に警官が来て、日本に帰るのならば色々手続きしてやるが、もしこのまま旅を続けるのならば宣言文にサインをしてくれと言ってきた。自分が外国人旅行者であることを改めて認識させられた。 一瞬、「帰ろう」という思いが頭をよぎったが、「旅をするんだ」という気持ちがわずかに勝っていたので、その旨を警官に伝えた。 結局ぼくは病院に2泊したのだが、3日目の朝に隣のベッドの少年が死んでしまった。医者から心肺停止の告知を受け両親は顔に深い悲しみを浮かべ涙を流していた。 死者を火葬して河に流す行為、死を待つ家、おびただしい数の物乞い、修行する行者、輪廻転生からの解脱を説くヒンドゥー教という宗教、など諸々の情報から、ぼくはインドが死に近い国、死という境地をどこか達観している、そんな国であるという印象を勝手に持っていた。 もっと言ってしまえば、そういう国をくぐり抜けることで自分の死生観を深め、他人よりも「知の中心」の近くにいるということを誇示したい、そんな青臭い願望が無意識の内にあったのだと思う。 でも自分は臆病だからすぐに病院に駆け込んだ。それでいいのだと思う。 そして少年だが、ヒンドゥー教に従えば、寿命をまっとうできなかったので火葬されることはなく、つまり輪廻転生からの解脱はかなわないのだが、両親の顔に浮かんだ悲しみはもっと根源的で普遍的な、愛しい者を失ったときの人類共通のものだったと思った、そしてそうあるべきだと。 そしてその日の午後に退院した。旅も仕切り直し。体はまだふらふらしていたがその他は大丈夫だ。色々な人の世話になって健康を取り戻す事ができたことを実感した日だった。 月日はずいぶんと流れてしまったがリンゴをもらえばよかったなと今でもときどき後悔しているのだ。 ![]()
by amadylan
| 2005-08-26 20:45
| 旅(回想録)
| ||||||
ファン申請 |
||