
バックパックで旅をしていた頃デジタルカメラはそれほど普及していず、その名前は知っていたけどどんなものかもよくわからなかった。
デジカメを携え同じコースをなぞって旅する機会があったらそこかしこでシャッターを切りまくるだろう。
どこにカメラを向けても絵になる構図だらけだもの。
でも無限に写真がとれるという状況が必ずしもいいのかというとそれもちょっと疑問。
四角く切り抜いた風景の数だけ何か大事なものが損なわれていく感てのが絶対にあるはず。
幸か不幸かオートカメラとフィルム十数本という装備だったぼくはフォトジェニックな場面に遭遇する度にシャッターを切るか否かの決断にせまられ激しく疲労した。
貴重なフィルムを無駄には使えない。上手く撮れているかどうかの確認がとれないってのもフィルムカメラの短所だ(当時はそれが当たり前だったのだけれど、、、)。
で、貴重なフィルムに焼き付けた旅の軌跡を日本に帰ってから現像に出して見てみると、考え抜いてシャッターを切っただけあって一枚一枚が印象的で、たとえピンぼけであったり被写体が外れちゃったりしててもその時の情景を雄弁にものがたってくれる。
ネパールのパタンという街で、踊りの練習をしている少女達の写真を撮った。
その写真をながめながら少女達の絵を描いてみると、その時の空気や匂いがよみがえりイメージがどんどんふくらむ。
水が高い方から低い方に流れ落ちる様に、湧き出たイメージを画用紙の上にどんどん形にしていくことでこの絵は出来上がった。
言葉が最初にあってそこからイメージを膨らませていくことも多いのだけど、この絵はもう言葉の入る余地がどこにもない。
そんなときは自ずと「無題」となるのだ。