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![]() やっと旅のことが書ける。二十歳を少し過ぎた時にイギリスに留学している友人を仲間で訪ねたことがあったのだが、自分の意志で海外を旅しようと思ったのはそれから ずっとあとの1996年のこと。 この時はヨーロッパ数カ国とモロッコを旅行した。 それまでの経験や知識によって構築された自分の世界観から未知への一歩を踏み出してみようと思っていたぼくにとって、モロッコと自分との距離がその一歩にふさわしい様な気がしたのだ。 そしてとにかくサハラ砂漠をこの目でみてやろうというのが旅の目標だった。 フランスの漫画<タンタンの冒険シリーズ>に出て来るモロッコの町並み、音楽の時間に聴いた「組曲ペールギュント」の「朝」(教科書の解説にモロッコの朝日をイメージした曲と書いてあった。藤城清治のきれいなさし絵が印象的だったことを憶えている。)、これらが自分が抱いていたモロッコのイメージ。音楽が本が映画が旅へと誘う。 スペイン最南端の町アルヘシラスからジブラルタル海峡をフェリーで渡るとバロウズ、マチス、ブライアン・ジョーンズなど数々の奇才を引き寄せた港町タンジールに到着する。 スペインからたった2時間半でこうも環境が変化するものなのか。ホテルの客引き、自称ガイド、物乞いなどがフェリーを降りた途端にどーっと押し寄せ、子供がジャンパーやズボンのポケットにズボズボ手を突っ込んで来る。 ほうぼうの呈でホテルに逃げ込んだのだが、これから先の道のりを考えると気が重たかった。 ぼくの第3世界との始めての出会いは決していい印象のものではなかったな。 途中経過は改めて紹介していこうと思うが、アトラス山脈を越えてなんとか砂漠の手前の町エルラシディアに到着。 ここでイブライムという英語を話す旅行者好きの若者と出会った。 この国の言葉はアラビア語とフランス語それと土着民族のベルベル語が主流だが、観光に携わる人間は英語をしゃべる。が、当然のことながら悪い奴も多い。 しばらく話してみて彼は信用できるという思いに至り、交通費と食費をぼくが負担するという条件でサハラ砂漠までのガイドを頼んだ。 彼の仕事の関係で出発は2日後ということで2泊彼の家に泊めてもらうことにした。 自分は怖いものなしでどんどん突き進んでいく人間のような書き方をしてしまったが、決してそんな事はない。 個人旅行で思う事は決断をせまられる場面がうんざりするほど多いということだ。 分岐点に差しかかる度に好奇心(というより「体験しなきゃいけない」という強迫観念に近いもの)と警戒心が頭の中でぐるぐる渦巻き、延々と逡巡する。だからローカルの家に泊まると決めた時も魂が激しく疲労しましたよ。 実際に彼は非常に親切で、街の郊外などを色々案内してくれたし、旅行者を連れていることがちょっとした自慢なのかいろんな友達にぼくを紹介してくれた。 モロッコはイスラムの国だけれど南部に行くとベルベル人の血が濃くなっていく。 女性も顔や髪の毛を隠すこともなく、ボブ・マーレイ好きの若者もいたりして(彼は「Get Up Stand UP」の歌詞を引用しながら熱くラスタファリズムを説いてくれた)イスラムの戒律はあまりきびしくないようだ(タンジェではおおっぴらではないが酒を飲んでるやつもいたなあ)。 イブライムの実家は兼業農家のようで農業倉庫の床一面にトウモロコシが敷きつめられていた。 彼が旅行者を家に泊めることはしばしばある様で家の人たちも快く迎え入れてくれた。 家の人の何人かと挨拶をすませたら彼は「ちょっと市場の仕事に言って来るからテレビでも見てくつろいでいてくれ。」と部屋に案内してくれた。 そこでは二人のおじいちゃんがソファーに座ってテレビを見ていて他にイスがないのでとなりにチョコンと座ったが全然くつろげない。 そのうち一方のおじいちゃんがベルベル語で話しかけて来るが分かる訳がない。 適当に相づちをうってたのだが言葉が通じないということは関係なく、聞いてくれる相手がいるだけで満足してくれてるらしい。1人で話しては笑っていた。 老人と赤ん坊は国境がないなあと思ったのだ。すばらしい境地。 夕方になるとお母さんがご飯を作りはじめた。モロッコで地元の家に泊まったのはここだけなので他は分からないのだがこの家ではお母さんが作った具の入ったチャパティのようなものを一枚一枚やき上げる。 できたそばからおなかのすいた人が焼き釜のある部屋に入って来て食事をするというシステム、面白い。 具はタマネギと羊のひき肉と青とうがらしを塩コショウ、スパイスで味をととのえ炒めたものだと思うのだが、とにかく辛かった。 それまでの人生で一番辛かった。と同時に非常にうまいのだ。だから結局のところ自分のキャパシティをはるかに越えている辛さのものを腹一杯食べた。 あの時以来辛さに対して耐性ができたと思う。辛さをうまさとして認識出来るようになった。 だが口が大丈夫でも胃腸には全然無理だったみたいで翌日は大変な目にあったのだ。 「ちょっと考えればわかることじゃないの?」と当時の自分につっこみたい。(続く) ![]() イブライムの姪っ子
by amadylan
| 2005-03-27 15:20
| 旅(回想録)
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