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バクーで朝を迎える。 ロシア系はそのままだけれど、中央アジアで見られたモンゴロイド系の人達がトルコ系にとって変わられ、日本からの距離を感じさせる。 ぼくたちの泊まったホテルは旧市街に位置するのか古い建物や石畳の道も多くソ連時代の雰囲気がそのまま残されていた(と思う)。 でも首都でありながらこの街、趣はあるがちょっとさびしい。 旧ソビエト圏の映画から発せられる寂しさのオーラに惹かれてここまでやって来たのではあるが、、、カスピ海に臨む城跡でそんなことを思ってたら悪寒がしてきた。記憶をさかのぼると前回はアルマティ、またしても風邪を引いてしまったようだ。それとは別にひとつ問題があった。グルジアのビザを取るべく領事館か大使館に行ったが個人へのビザの発券は行っていなかった。アルメニアにも何らかの理由でビザがおりなかった。 「だから、あのときでグルジアのビザも取っておけば良かったんだ、、、」と、心の中で思った。 ぼくがウズベキスタンでグルジアのビザも取っておこうと進言したとき、アゼルバイジャンで取れるとの情報を外国人ツーリストから仕入れて来たモリくんに従い、そこでは取らなかったという経緯があったのだ。モリくんは英語圏の国にホームステイしていたことがあるので英語がしゃべれるという強みがあり、どちらかというと旅のイニシアティブはモリくんの方にあった。 口にはださなかったがぼくの不満をモリ君は感じ取ったと思う。 ビザが取れないならばまた飛行機でトルコまで飛ぶしか選択肢はない。 ぼくはもうグルジア行きを諦め、腐っていたのだけれど、モリ君はそうではなかった。バクーの街を散策しつつ道ですれ違う外国人ツーリストからビザ取得に繋がる様々な情報を訊き出していた。 そして最後には現地のツアー会社にお願いしてグルジアのビザをとるとこができたのだ。 モリくんに感謝しつつも、自分はそういう能力がないのだから人に頼らずにウズベキスタンでビザを取っておくべきだったなと反省した。 数日後、体調も回復し僕らはレトロな街バクーに別れを告げグルジアめざして歩を進めることができた。 タイムリミットのあるモリくんは「悪いけど先に行くかもしれないよ。」とは言っていたがぼくが寝込んでいるあいだ市場で水やパンやジャムなどを買い込んで来てくれた。おかげで回復もずいぶん早かったのだと思う。 アゼルバイジャンでは移動手段のほとんどがローカルバス。 どこでもそうなんだけど日に数本のバスは時間通りにやってくることはまずない。 もてあます時間も多いというもんだ。 スターリンの生家やキャラバンサライなどちょっとした見所が点在しているが正直言ってもの寂しさが漂うこの地を1人で旅行してたらけっこうしんどかっただろう。 相棒の存在がこれほど頼もしく思えたことはなかった。 早朝早くにバスが到着したシェキという街のオープンカフェで変なルールの将棋をしながら時間を潰していた僕たちはトルコ人風のオッサンに声をかけられた。 彼はカタコト英語を話す事ができて、お前達はなに人でどこから来たのかと質問して来たり、自分は養蜂家で住んでいる村がとても美しいところだとかそんな話をしてくれたのだが、そのうち「お前達、オレの村に来ないか?」ともちかけてきた。 バックパッカーをしていると避けては通れぬ好奇心と警戒心の分岐路がまたしても眼前にたちはだかる。 1人だったらなんの迷いもなく断ることができるが僕たちは二人、そして二人とも基本ビビリながらもそこそこの好奇心を持ち合わせている。 カフェに集まってる地元の男達と仲良くしゃべっている様子を見ているとこのオッサン悪い奴ではなさそうだし、僕らが失踪した場合、このオッサン(名前を忘れてしまったので以下アゼルと呼ぶことにしよう)に疑いがかかることは一目瞭然。 そういった状況判断から僕たちはアゼルのはなしに乗る事にした。 詳しいところは忘れたけれどバスやタクシー(友人の車?)を乗り継ぎ随分な時間をかけて僕らは山奥の小さな村を訪れたのだ。
by amadylan
| 2012-09-22 11:02
| 旅(回想録)
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